2007年01月11日
無事是貴人
無事是貴人(ぶじこれきにん)
『何の計らいもなく自然法爾に徹する人を最高の人とする』という意味です。
自然法爾(じねんほうに)という言葉も難しいですが
「人為を加えず、一切の存在はおのずから真理にかなっていること」
といった意味でしょうか。
何事も自然体で、常に足るを知る姿勢でありたいと願っています。
何の計らいも行なわず、
何の計らいも疑わないで済むことが出来たならば
素晴らしいことだと思います。
なんとなくこんな言葉を思い出してしまいました。
自然法爾(じねんほうに)という言葉も難しいですが
「人為を加えず、一切の存在はおのずから真理にかなっていること」
といった意味でしょうか。
何事も自然体で、常に足るを知る姿勢でありたいと願っています。
何の計らいも行なわず、
何の計らいも疑わないで済むことが出来たならば
素晴らしいことだと思います。
なんとなくこんな言葉を思い出してしまいました。
Posted by バックG at 12:03│Comments(6)
│禅語
この記事へのコメント
こんにちはバックさん。良い言葉ですねー♪私もそうありたいと何時も思います。自分を含めた地球・・いえ、宇宙、森羅万象が、大きな何か(神と言うのか仏と言うのかはわかりませんが)の何かの壮大な計画の為に存在していると思っています。ですから、私は世の中に不要なものは、ないし、道端の石ころにも存在の意味があると、考えています。私が大切にしています言葉は蓮如の「我が計らいたるにあらず」です。そんな意味でもバックさんの生き方に共鳴します。素晴らしい言葉を教えて下さりありがとうございます♪
Posted by scemo3440 at 2007年01月11日 14:43
今晩は~!
人は年をとるとともに
何故こういう事を若い時より
真剣に考えるのでしょう?
若い時はイケイケでも、
年をとって自分のしたことを後悔して
ヤクザが神父になる時代ですからね~!
あっ、人のこと言えね~っか!!大笑
人は年をとるとともに
何故こういう事を若い時より
真剣に考えるのでしょう?
若い時はイケイケでも、
年をとって自分のしたことを後悔して
ヤクザが神父になる時代ですからね~!
あっ、人のこと言えね~っか!!大笑
Posted by JC at 2007年01月11日 18:45
scemo3440さん
いやぁ、お恥ずかしい。
ガンジーさんの言葉も含蓄があって共感いたしましたよ。
「生かされている」ということが身に沁みて理解出来るようになってきましたね。
「生きよう」としても生きれないこともあり、
「死のう」としても簡単には死ぬことは出来ない。
「生き死に」は自分の思い通りにはならないのだと思います。
せめて生き様、死に様を自分の納得出来るものにしたいです。
いやぁ、お恥ずかしい。
ガンジーさんの言葉も含蓄があって共感いたしましたよ。
「生かされている」ということが身に沁みて理解出来るようになってきましたね。
「生きよう」としても生きれないこともあり、
「死のう」としても簡単には死ぬことは出来ない。
「生き死に」は自分の思い通りにはならないのだと思います。
せめて生き様、死に様を自分の納得出来るものにしたいです。
Posted by バック at 2007年01月11日 21:11
JCさん
若い頃に読んでも上っ面しか分からなかった言葉が、
年を重ねるにつれて理解出来るようになるんですね。
それに若い頃には「自分はどう生きたい」としか考えませんが
ある年齢になると自分から離れて物事を考えることが出来るようになります。
JCさんはまだまだ若いので、ご自分とご家族そしてお店のことを沢山沢山悩んで下さい。
若い頃に読んでも上っ面しか分からなかった言葉が、
年を重ねるにつれて理解出来るようになるんですね。
それに若い頃には「自分はどう生きたい」としか考えませんが
ある年齢になると自分から離れて物事を考えることが出来るようになります。
JCさんはまだまだ若いので、ご自分とご家族そしてお店のことを沢山沢山悩んで下さい。
Posted by バック at 2007年01月11日 21:15
何故だか涙がでてきました。
何の計らいも行わず
何の計らいも疑わず。
そうできたらいいのに。
そうなりたいです。
あるがまま。
何の計らいも行わず
何の計らいも疑わず。
そうできたらいいのに。
そうなりたいです。
あるがまま。
Posted by 魚 at 2007年01月18日 13:19
魚さん
涙が出ちゃいましたか・・・。
この言葉は禅語なのですが難しいのは「無事」という言葉です。
一般に使われている言葉としての「無事」は、事が無いと言うことから
「変わりがないこと」「健康であること」「平穏であること」
などの意味に使われます。
禅語における「無事」は「外に向かって求める心を捨てる」を意味するそうです。
とは言っても無関心であることや無気力であることとも違います。
「求めなくてもよいことに気付き、安らぎを得ること」
野に咲く花は、美しく見せたいとか、目立ちたいとか、
そういったことはまったくありません。
ただ、無心に一生懸命に咲いているだけです。
そんな花をそのまま受け入れられるようになりたいです。
涙が出ちゃいましたか・・・。
この言葉は禅語なのですが難しいのは「無事」という言葉です。
一般に使われている言葉としての「無事」は、事が無いと言うことから
「変わりがないこと」「健康であること」「平穏であること」
などの意味に使われます。
禅語における「無事」は「外に向かって求める心を捨てる」を意味するそうです。
とは言っても無関心であることや無気力であることとも違います。
「求めなくてもよいことに気付き、安らぎを得ること」
野に咲く花は、美しく見せたいとか、目立ちたいとか、
そういったことはまったくありません。
ただ、無心に一生懸命に咲いているだけです。
そんな花をそのまま受け入れられるようになりたいです。
Posted by バック at 2007年01月18日 19:15