2007年05月24日
北条政子の墓
鎌倉・寿福寺の裏手に北条政子の墓と伝わるやぐらが残っています。

鎌倉には『やぐら』と呼ばれる中世の横穴墳墓がたくさん残っています。
山中の斜面部の崖に四角形の穴をあけた洞穴がやぐらになります。
洞穴の入り口に木製の扉を取り付けたやぐらも残っています。
写真左側の洞穴が『北条政子』の墓。
右側に四角く見える洞穴が鎌倉幕府の第三代征夷大将軍『源実朝』の墓。

『北条政子』の墓の内部。
五輪塔が置かれています。

山中の斜面部の崖に四角形の穴をあけた洞穴がやぐらになります。
洞穴の入り口に木製の扉を取り付けたやぐらも残っています。
写真左側の洞穴が『北条政子』の墓。
右側に四角く見える洞穴が鎌倉幕府の第三代征夷大将軍『源実朝』の墓。
『北条政子』の墓の内部。
五輪塔が置かれています。
Posted by バックG at 20:25│Comments(4)
│鎌倉
この記事へのコメント
なごみも、彼と訪れたコトがあります(*^_^*)
好きで好きで、大恋愛の末頼朝と結ばれたのに、亡くなってから 同じ鎌倉とはいえ、離れたお墓に奉られるなんて、気の毒な気持ちがします。
出家して尼さんになられたから、もう世俗は捨てたという捉えかたなのでしょうか。。。
日本史はさぼっていたので、知らないコトが多く恥ずかしいのですが、鎌倉へ訪れる度に、知識欲がムクムクと湧いてきます(^_^)v
好きで好きで、大恋愛の末頼朝と結ばれたのに、亡くなってから 同じ鎌倉とはいえ、離れたお墓に奉られるなんて、気の毒な気持ちがします。
出家して尼さんになられたから、もう世俗は捨てたという捉えかたなのでしょうか。。。
日本史はさぼっていたので、知らないコトが多く恥ずかしいのですが、鎌倉へ訪れる度に、知識欲がムクムクと湧いてきます(^_^)v
Posted by なごみ at 2007年05月25日 18:39
なごみさん
何故墓所が分かれているのでしょうね???
政子という名前は亡くなってからそう呼ばれたようで、
本名は分からないそうです。
鎌倉幕府は政争が多くて、人間関係がとても複雑です。
何故北条政子は「 政子 」ではなく「 北条政子 」なのかもよく理解できません。
ふつうなら源頼朝の正室として「 政子 」と呼ばれそうですが。。。
足利義政の正室「 日野富子 」も同じように苗字がつきますね。
何故墓所が分かれているのでしょうね???
政子という名前は亡くなってからそう呼ばれたようで、
本名は分からないそうです。
鎌倉幕府は政争が多くて、人間関係がとても複雑です。
何故北条政子は「 政子 」ではなく「 北条政子 」なのかもよく理解できません。
ふつうなら源頼朝の正室として「 政子 」と呼ばれそうですが。。。
足利義政の正室「 日野富子 」も同じように苗字がつきますね。
Posted by バック at 2007年05月26日 09:47
とても、きれいなお墓ですね。
Posted by 志村有砂 at 2007年07月04日 17:30
志村有砂さん
初めまして♪
コメントありがとうございます。
やぐらのお墓としてはかなりきれいですネ^^
初めまして♪
コメントありがとうございます。
やぐらのお墓としてはかなりきれいですネ^^
Posted by バック at 2007年07月05日 05:30