2008年01月11日
慶珊寺と直木三十五の住居跡
金沢七福神を巡ったときに、もう一つ訪れたい目的の場所がありました。
直木三十五の住居跡です。

直木三十五の住居跡です。

直木三十五のお墓は当初慶珊寺にありましたが、
その後七福神の一つである長昌寺へ移されています。
直木三十五の住居は慶珊寺のすぐ裏にあったのです。
慶珊寺は長昌寺からも近く、富岡駅へ向かう道すがらにあります。


境内はとても綺麗に手入れがされており、とても気持ちよいお寺でした。

お寺の入口の脇には意外な碑が建っていました。

孫文の上陸記念碑です。
孫文が大正2年8月に台湾を経由して日本へ亡命した際に
横浜沖より小舟で富岡の地に上陸したそうです。
直木三十五の住居は慶珊寺の左脇の坂道を数百m登るとあります。

そこには直木三十五の文学碑があり、
『芸術は短く、貧乏は長し』と書かれています。

これは昭和35年に大仏次郎が中心となって建てられたそうです。
直木三十五の住居は現在も残っており外観も保っているのですが
いまは個人宅となっているので写真は控えました。
その後七福神の一つである長昌寺へ移されています。
直木三十五の住居は慶珊寺のすぐ裏にあったのです。
慶珊寺は長昌寺からも近く、富岡駅へ向かう道すがらにあります。


境内はとても綺麗に手入れがされており、とても気持ちよいお寺でした。

お寺の入口の脇には意外な碑が建っていました。

孫文の上陸記念碑です。
孫文が大正2年8月に台湾を経由して日本へ亡命した際に
横浜沖より小舟で富岡の地に上陸したそうです。
直木三十五の住居は慶珊寺の左脇の坂道を数百m登るとあります。

そこには直木三十五の文学碑があり、
『芸術は短く、貧乏は長し』と書かれています。

これは昭和35年に大仏次郎が中心となって建てられたそうです。
直木三十五の住居は現在も残っており外観も保っているのですが
いまは個人宅となっているので写真は控えました。
Posted by バックG at 12:30│Comments(0)
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